なんというか、わずかな暇も作りたくないの
吉備路マラソン から
2週間が経とうとしてるのに
いまだに余韻から抜け出せないでいるって
どういうことなんだろうあきれる
あまりに楽しすぎて
このままこの時間が
ずーっと続けばいいのにと思ったし、
そういうふうに思うことが
久しぶりだなと思った
「あの時間がいちばん楽しかったなありがとう」
というメッセージを読むことから始まる朝が
どれだけしあわせかわかってもらえるかな
もらえなくっても全然いいんだけど
「これからどんなことがあっても
きっとわたしはこのひとのことを…」
みたいなことを
幾度となく言ってきたけど
やっぱりそれは変わらないんだなと確信しました
すきなひと同士であれば
お互いの全部を知っておきたいし
そうあるべきだと
幼い頃のわたしは思っていたけれど
大人になってからは むしろ逆で
受け入れられないものを
無理に受け入れようとするのも
なかなかハードだし
逆に相手に受け入れてもらおうとするのも
なんだか申し訳ないから
知りたくない部分は知ろうとせず
すきなひとのすきな部分だけを見て
勝手にすきでいれば
なんにも悲しくなったりつらくなったり
そんなマイナスな感情を抱くことなく過ごせて
しあわせなんじゃないかなと思う
そんな、ある意味 都合のよい関係について
理解してくれてたし
きっと少なからず共感してくれたのは
あとにも先にも おそらく彼だけだと思う
映画をものすごく観たい
いくつか観たい作品は
ピックアップして
パパのストックから出してもらってるから
いつでも観れるのに
1日1本ペースで観たいな
今 日常的にやってることを
なにひとつやめることなく
その時間をなんとか捻出しよう
フィジカル的にも、メンタル的にも、
なんというか、わずかな暇も作りたくないの